神農大帝はかく語りき


タソガレドキ軍忍び組頭雑渡昆奈門は園田村の一件以来
忍術学園の医務室へちょくちょく来るようになっていた。
本人曰く、保健委員長善法寺伊作の調合した火傷の薬がとてもよく効くからだそうだ。
そうして今日も学園内に曲者、もとい学園関係者でもない他軍の忍者が平気で侵入している。
もちろんしっかりと入門表にサインした上で。
「この間、山で変なお爺さんを見たんですよ」
雑渡の古くなった包帯を解きながら伊作は言う。
「草を口に咥えて、毒になるか薬になるかを調べてるみたいなんです。
それだけならまあ然程気にするようなことでもないんですがね、その人の頭の薄くなった頭頂部に」
忍び組頭という割には大した緊張も警戒もなく伊作に己の背中を預けてしまっている雑渡は
内心これはまずいなあと考えていた。
こんなだから善法寺は忍者に向かないのだとも思った。
「あったんですよ。角が」
薄汚れた包帯から開放されたお世辞にも正常とはいえないような
傷を多くこさえた背が水を含んだ布で清められていく。
悪くないと思う。
戦場で負った火傷。炎に身を焼かれた後耐え切れず装束を無理矢理脱いでしまったのが良くなかった。
脱いだ装束と一緒に皮膚まで持っていかれてしまったのだから。
着衣のまま先に水をかけて冷やすのが良いのだと
若干不快そうな顔で雑渡の背を清める伊作は言っていた。そんなことは言われるまでもなく知っている。
しかし知っているからといってあの熱と痛みの中冷静な判断などできなかった。
雑渡もまだ未熟だった時期というものがあったのだ。
部下は信じられないといった風に笑ったが、そうなのだ。仲間も何人か死んだ。
もしも己のいた場に一人でも彼のような応急処置ができる者がいたらどうだっただろうかと考える。
もっと被害は少なかったかもしれない。そんなことはなかったかもしれない。
「ぼくの話聞いてませんね」
背を清めきり、薬を手にしながら伊作は言う。その顔に不快な色は見えない。
「いやいや。聞いていたよ。変な老人から薬をもらったんだろう」
そうです、と伊作は答える。そうして手の中にある膏薬をみせてくる。
「花消痾というそうです」
「はなけあ、ねえ」
どうも胡散臭い。
なにしろ善法寺伊作という男は善良に見えて意外に忍者しているというか、したたかだ。
同室の友人や同級生の茶や食事にこっそりと自作の薬を混ぜて効果を試すことが何度かあるという。
聞くところによると被害の多くは同室の者だという。
少し同情するが忍者のたまごなのだから少しの毒ならなんとかなっているのだろう。
これもある意味鍛錬の一環といえなくもない。
この薬も伊作の調合した薬で、さっそく効果を試されようとしているのかもしれない。
「疑ってますね」
「少しね」
本当は結構警戒している。
「大丈夫ですよ。もう試しましたから」
「自分でか」
「いいえ」
「そうか」
暫し沈黙。
「すごいですよ。火縄銃の練習で負った火傷が綺麗さっぱり後も残らず」
火傷が、という言葉に雑渡が目の力を強める。
「それで私の火傷がなくなるとでもいうのかい」
「さあ、そこまでは。
ただ、もう定期的に忍術学園にやって来る必要がなくなる程度には良くなるかもしれませんよ」
笑顔ではあるが伊作の笑顔はなにかを試すような笑顔だ。
雑渡はしばし考える。
「いや、やめておこう。いつもの薬で頼むよ」
「信用できませんか」
伊作は表情を変えず言う。
「いいや。そうじゃない」
雑渡はタソガレドキ軍忍び組頭の顔で笑う。
「私は愚かなのだよ。目に見える愚行の証がなければ何度も繰り返すんだ。同じことをね。
だからこうして自分が油断することないようにしているのだ。言ってしまえば戒めなのだよ」
そう答えれば伊作はつまらなさそうに笑みを消す。
「それに」
「それに?」
雑渡は口端を上げるだけの笑みで続ける。
「わたしはここに来るのが好きなんだよ」







花消痾なんて薬は実在しません。大嘘です。
2008 12 17