*阿智太郎先生の「僕は生臭い殺し屋」のパロディです

 舞台は現代



日本には、一風変わった風習を持つ地域がある。
子どもが一歳になるとその子の前に様々な道具を置き、その子が鉛筆を取ったなら将来は作家になるだろう
おもちゃのマイクを手に取ったのなら歌手に、バットなら野球選手、などとやり子どもの将来を占うのだ。
俺の家にも似たような風習がある。
ある歳になった親戚の子どもが数人が集められ、一人はおもちゃの拳銃を、もう一人は忍者ごっこで使っていた苦無を
もう一人は虫取りの網を選んだ。
当然俺もその儀式を受けている。しかし俺の番になったところで事件は起こった。
並べられた様々な道具を無視して俺はハイハイで歩き出したらしい。
親戚が見守る中、台所へ向かった俺はそこである物を手に取った。
どうして俺がそんなものを手に取ったのか、そんなことは俺自身まったく記憶にない。
しかし手にとってしまったものは仕方ない。そこにいた宗家のお爺さん大川平次渦正さんの鶴の一声によって決まってしまったのだ。
俺の、久々知兵助の将来が。


「悪い。遅くなった」
そう言ってやって来た鉢屋三郎は不破雷蔵の隣の席に腰掛けた。
既に注文を済ませハンバーガーやポテトを食べていた俺たちは、詫びの言葉を発する三郎にそれぞれ手振りや目配せで返す。
どっかりと腰掛けた三郎は何の断りもなく雷蔵のポテトへ手を伸ばす。雷蔵も何も言わないでそれを見ている。
「三郎、鉄臭いぞ」
三郎の正面の席で生物のテキストを開いていた竹谷八左ヱ門が口を尖らせて言う。
それは俺も思っていた。すっかり慣れてしまっているし、かすかなものだったから何も言わなかったが
確かに三郎からは鉄の香りが漂っている。
鉄の臭い。すなわち血だ。
三郎はくんくんと鼻を鳴らして自分の体を嗅ぐと申し訳なさそうに言った。
「ちょっと失敗してな。返り血を浴びたんだ」
返り血。つまり人を傷つけるようなことをした。ということだ。
それもそのはず。俺たちの家は先祖代々所謂必殺のお仕事、殺し屋をやっているのだ。
宗家のお爺さん大川さんと言えばこの業界ではそれなりに有名だ。
そしてここにいる雷蔵も三郎も八左ヱ門も俺の親戚、つまり仕事仲間だ。歳も実家も近いので昔から仲良くしている。
三郎のあの学ランの下に忍者が使うような苦無が何本も隠れているということを知る級友はいないだろう。
「着替えくらい持ってけばいいのに」
三郎の隣に座った雷蔵が眉を顰めて言う。
雷蔵の武器はライフル。学生鞄の中には折畳式ライフルが収納されている。
返り血を浴びることのない雷蔵はこの血の臭いになかなか慣れない。
「やっぱり接近戦は危ないよ。抵抗されるし、今回みたいに返り血浴びたりするし」
「んー、それは半分アタリで半分ハズレだな雷蔵」
諦めたようにテキストを投げて八左ヱ門が口を挟む。
「たとえ接近したって血が出ないようにすればいいだけなんだよ」
小さい頃に選んだ武器が捕虫網という残念セレクトだったくせに八左ヱ門はそれを使った棒術と体術でしっかりと仕事をこなしている。
「網で引っ掛けて首の骨なんかぽっきり折るのがお勧めだな。簡単だし、血も出ない。苦無なんかより全然いいって」
「ふん。好き勝手言いやがって。私だっていつも返り血を浴びている訳じゃない。今日はたまたま失敗しただけだ」
「へえ。じゃあ三郎は普段どうしてるの」
「要は血液が噴き出す方向にいなければいいんだよ」
「そんなのわかるんだ」
「当たり前だ。返り血の飛ぶ方向なんてのは突き立てる凶器の形状とその角度でだいたい決まるんだよ。
 慣れれば避けるのなんて難しくない。まあ、たまに異常に血圧の高いヤツなんかがいて今回みたいにちょっとくらい浴びることもある」
俺はジンジャエールを飲みながらこの物騒な会話を聞いていた。普通の人が聞いたなら耳を疑うだろう。でもこれが俺たちの世間話なのだ。
もちろん、ちゃんとお互いの学校のことや趣味の話なんかも普通にする。
世間には知られていないが殺し屋という職業はちゃんと存在する。
元締めといわれる統括者、ウチでいえば大川のお爺さんだ。
その人を中心に取り巻く幾つかの組織で構成されているのが日本における殺し屋業界の形だ。
人を殺して金を貰うなんて…と思う人も多いだろう。しかし殺し屋サイドから言わせて貰えばこれは必要悪なのだ。
俺はいつも思う。世の中には三種類の人間がいる。
一つ、死んではいけない人間。
二つ目、死んでもいい人間。
最後に、死ななければいけない人間だ。
俺たちが殺すのはこの三番目。死ななければいけない人間だけだ。
実際これまで仕事をしてきたが、どいつもこいつも救いようのない悪党ばかりだった。
だから良心が痛むということはない。一種の害虫駆除だと思って俺は仕事をしている。
八左ヱ門には害虫だろうと生きているだけの虫とあんな悪党どもを一緒にするなと怒られるかもしれないが。
ちょうどそこで俺の携帯が鳴った。
着メロは必殺仕事人のテーマ。
この着信は宗家の大川お爺さんからのものだ。宗家からの連絡。それは仕事の依頼を意味する。
「兵助、依頼?」
「そう」
親族であろうと内容には深く突っ込まない。それがこの世界の掟だ。それをちゃんとわかっているから三人ともそれ以上聞いたりしない。
内容を頭に叩き込んでメールを消去する。
「依頼はいいんだけどさ、兵助の武器まだ残ってるのか」
「大丈夫だ。家にストックがある」
「「「さっすが、豆腐小僧」」」
三人が声を合わせて笑う。
豆腐小僧。それが俺のコードネームである。面白半分に付けられたこの名前が、俺は嫌いだ。


ターゲットは俺の通う学校の某教師。俺は雷蔵、三郎そして八左ヱ門とは学校が違うので俺に依頼が来たわけだ。
この男は女子生徒の恥ずかしい写真を撮り、それを使って生徒を脅迫。
依頼者はこの教師のせいで自殺に追い込まてしまった可哀相な女子生徒の親御さん。
胸糞悪い。この男は三番目の死ななければならない種類の人間だ。
ついでに言えば俺もこの教師が個人的に嫌いだ。女子生徒を厭らしい目で見るし、男子生徒には意味もなく厳しい。
そして俺は今、この教師によって校庭を走らされている。
体育の授業態度が悪いというよくわからない理由で校庭十週。くそう。
自慢じゃないが俺は小さい頃から訓練を受けている。本気になればライバルの屍を引き摺ってでも42,195qをぶっちぎることだってできる。
しかし、それはやってはいけない。己の力は極力悟られないようにしなければいけないのだ。
…三郎なんかは平気で体育で好成績を残したりいろいろな部活の助っ人をやっているが。
クラスの人間の同情や嘲笑のこもった瞳に晒されながら俺は依頼のことを考える。
ターゲットは運動部系の主任で体育館近くに専用の個室を持っているため一人でいることが多い。条件は悪くない。
だからといっていつでも大丈夫というわけでもない。体育研究室に入るところを見られるのは良くない。
チャンスは最後の授業が終わってから部活の始まるまでの十分程度だ。
十分もあれば必殺、逃亡くらい問題ない。教師が持っているであろう写真やらの探索、始末などは組織の別の人間の仕事だ。
こういうところはやはり分業のほうが楽だと思う。
心配なのは武器の状態だが、まあ大丈夫だろう。ちょうど終業のチャイムが鳴り体育の授業は終わった。
あの教師は腹立たしいがどうせ今日の放課後で終わる命だ。
内心呟いて教室に戻る廊下を歩いていると後ろから唐突に声が掛かった。
「兵助くん」
振り返ると派手な頭をした男がいた。
斉藤タカ丸。俺の一つ下の学年だが歳は俺の一つ上。留年の理由は聞いたような気もするがよく知らない。
委員会が同じなので顔見知りだ。ちょっと変わった性格をしているが悪いやつではない。
実家が美容院で斉藤自身も美容師志望らしく、この前タダで散髪してもらった恩がある。
「斉藤。どうかしたのか」
「見てたよ。校庭走ってるとこ」
「見てたよって…恥ずかしいな。授業態度が悪いって言われて走らされてたんだよ」
「兵助くん走るのすごく速いし、全然息とか切らさなかったよね。すごいなあ」
しまった。
俺の内心は八左ヱ門の後輩の孫次郎のように青くなった。
仕事のことを考えすぎて適当にだらだら走るのを忘れていた。
「斉藤…見間違いじゃないのか」
「そんなことないよ。授業中に教室からずっと見てたもの」
ちゃんと授業受けろ。ただでさえお前は人より勉強ができない部類に入るんだから。
いやいやそういうことじゃない。
たかだか校庭を走る様子程度で裏の仕事がバレるとは思わないが、あまりよろしくない状況なのは確かだ。
何か適当な話題で誤魔化さなければ。
という俺の思いが天に届いたのか、ちょうどよく『ぐう』と腹が鳴った。俺の。
しばしの間。
斉藤が噴き出すのと、俺の顔に血液が集まり赤くなるのはほとんど同時だった。
「いや、これは。だって昼時だし。今まで体育だったし」
「うんうん。お腹空いてるよね」
にこにこと笑う斉藤が少し憎たらしい。別にその笑みに他意はないとわかっていても恥ずかしさで自然に口が尖ってしまう。
「お昼はどうするの?もし良かったら一緒に食堂行かない?」
「ああ。いいぞ」
「やったあ!じゃあ食堂の前で待ってるね!」
一緒に昼食を食べるだけなのになんでこんなにテンションが上がるのか。とにかくさっきまでの話をうやむやにできたのだからいいか。
「そういえば兵助くんってさ」
まだ何かあるのか。
「なんで豆腐小僧って呼ばれてるの」
ピタリ。と俺の動きが止まった。
確かに呼ばれている。コードネーム以外でも、俺のあだ名は豆腐小僧だった。
「…………小学生のころ、学校に内緒で冷凍豆腐を持ってきたのがバレて怒られたんだ」
あまり人に話したくない俺の苦い思い出だ。
「なんで冷凍?」
「歯ごたえが…」
体育の話から話題を逸らしたいこんな時でなければこの話はしない。
「お豆腐好きなんだ」
「好きだ」
そう。豆腐小僧という呼称は別として、豆腐は好きだ。美味しいじゃないか!


放課後、体育研究室。俺の目の前には体育教師の死体が転がっていた。
仕事はちゃんとこなす。
やれやれと息を吐きながら扉を開けた俺は、一瞬死んだ。
開けた扉の向こう側に人が居たのだ。
斉藤だった。
「斉藤…どうして…なんでこんなとこに」
俺の声は掠れていた
「兵助くんの教室に行こうと思ったら、ちょうど体育研究室に向かって行くとこが見えて…」
斉藤の声も掠れていた。その瞳は信じられないものを見たとういう色に染まっている。
例えば、知人の犯罪現場を目撃してしまったような。
それでも俺は、望みは限りなく薄いとわかってはいながら訊かずにはいられなかった。
「…見たのか」
斉藤は小さく首を縦に動かした。
見られた!見られた!見られた!見られた!見られた!見られた!見られた!見られた!
見られた!見られた!見られた!見られた!見られた!見られた!見られた!見られた!
俺の頭でその言葉が暴れまわる。
仕事の現場を見られてしまったのなら、見た人間を消さなければならない。これがウチの掟なのだ。
どうして人間の脳を弄って特定の記憶を消すことができる装置がないのかと、こんなに思ったのは初めてだ。
俺は隠していた血まみれの武器を手にした。
悪いな、斉藤。死んでくれ。
意を固めると心の中で叫んだ。が、俺の手は動いてくれなかった。
だって、だって斉藤は死ななくてはいけない人間なんかじゃない。それどころか、死んではいけない種類の人間だ。
髪の毛を切ってもらったことがある。
勉強を教えたらお礼にジュースをおごって貰った。
雨の日に傘を忘れたら自分の傘に俺を入れてくれて、その上わざわざウチまで送ってくれた。
球技大会のときなんかは学年が違うというのに熱心に応援された上にこっそり飴をくれたなんてこともあった。
そんな斉藤を始末するなんて俺にはできなかった。
「斉藤…頼む。このことは秘密にしてくれないか」
その場に土下座する勢いで俺は頭を下げる。
「見なかったことにして欲しいんだ。それがお互いのためにも一番いい。頼む」
斉藤はしばらく無言で俺を見ていたが、やがて静かに笑った。
「わかった。秘密にするよ」
「あ、ありがとう…!」
「兵助くん、悪い人じゃないって俺知ってるもん。なにか理由があるんでしょ」
「うん、まあ」
これでお金をもらってますとは言えない。
「じゃ、一緒に帰ろう。そのために兵助くん追いかけてきたんだ」
「ああ」
「…ねえねえ。何か悩みとかあるの」
「は?」
「困ってることがあるならいつでも言ってよ。友達なんだし」
「お前何言って…」
「力になれないかもしれないけどさ、話すだけでも気が楽になることってあると思うんだ」
帰り道ずっとそんな調子だった。
俺が悩み事を抱えてつい人を殺しちゃうような人間に見えるのか。
それにしたって殺しの現場を見たというのにいつもどおり平然と俺に接してくる斉藤は意外に肝が据わっているのか。
それともただの能天気なのか。…後者の可能性が高い気がする。
ひょこひょこと隣で揺れる派手な頭を横目で見ながら思った。と同時に頭の隅に追いやっていた不安がむくむくと頭を擡げる。
誰にも言わないと約束はしてくれたが、それは本当に大丈夫なのだろうか。
一度そう考えると横から一方的に喋ってくる斉藤の話の内容など頭に入ってこなかった。
けれど大きくなる不安とは反対に斉藤を始末しなければという思いはどんどんと萎んでいった。


その日の夕飯は雷蔵の家で食べた。別に毎日雷蔵の家に夕飯を食べに行っているわけではない。
ただ、家業の関係上昔から皆夜に両親が揃うことが少なかった。
学校は違うが家は近いので今でもこうやって誰かの家で食事を取ることが週に何度かあるのだ。
俺も何度か手料理を振舞ったことがあるのだが何故か不評で、俺の家で夕飯を取る日は食材を持ち寄ったり、外に食べに行ったりが多い。
豆腐フルコースおいしいのに。
食卓はいつもと変わりなかった。
相変わらず大雑把な雷蔵の作る味噌汁の濃さが前回とかなり違ったことと、いつもより俺の口数が少ないこと以外は。
みんなでおかずを口に運ぶなか、八左ヱ門が唐突に俺に質問を仕掛けてきた。
「兵助ってさ、今まで仕事してるとこを他人に見られたことある?」
俺は霧吹きになって味噌汁を噴いた。
幸い食卓に並んだ料理は雷蔵と三郎のナイスなコンビーネーションによるガードで守られたため無事だ。
「い、いきなりなんてこと聞くんだ八左ヱ門」
人生最高速度で鳴る心臓の音が誰にも聞こえていないことを祈りながら、とんでもない質問を投げかけてきた八左ヱ門を見た。
「だって兵助ちょっと天然入ってるとこあるからなあ。なんか心配で」
「馬鹿言うなよ。仕事をしてるとこを目撃されるなんて、そんな、失敗、ははは」
俺は必死で笑い飛ばした。
「そうだよ。いくら兵助がちょっと天然だからって、仕事を人に見られるなんてことないだろ。ウチの血筋なんだから」
「そうそう。もし見られでもしたら、後味の悪い殺しをしなくちゃならないしな。いくら天然だからって気を付けるだろ」
「だよねえ。罪の無い人を殺すことほど後味の悪い事はないからね」
「ウチにはそんなドジはいないけど、他のところじゃあ目撃者の始末で罪の意識に駆られて廃人になった奴もいるらしいからな」
雷蔵と三郎のコンビネーションは食卓を守るだけでなく、俺の神経をギリギリまですり減らすようなことまでしてくれる。
もう切断寸前である。
「ま、目撃者を始末しなかったなんてことになったら他所はどうだか知らないけど
 ウチじゃあ掟で抹殺モンだからいくら兵助でもそんなポカはしないよなあ!」
あっはっはと笑う八左ヱ門の声でついに俺の神経はぷつんと切れた。
「…ごちそうさま」
「兵助、まだお豆腐残ってるよ」
「雷蔵にやる」
そう言って俺は箸を置くと青ざめた表情を悟られないよう俯きながら食卓に背を向けた。
「悪いけど、明日の課題があるから今日はもう帰るな」
ばたんと大きな音を立てて扉が閉まり、俺は走って家に帰った。
この時俺は知らなかった。俺が出て行った後の食卓で三人が思わせぶりに目配せし合っていたなんてことは。


次の日の学校は当然大騒ぎだった。なにしろ学内で教師の他殺死体が見つかったのだ。
俺は何食わぬ顔…というわけではなく、何があったのだろうという興味と不安の顔で登校した。
昇降口、廊下、どこを歩いていても聞こえてくるのは殺人事件の話ばかりだ。
内部犯だ、外部犯だ、怨恨だなどと憶測がされるが誰も犯人がこの俺だなんてことは思いもしないだろう。
ただ一人。目撃者を除いては。
「おはよう。兵助くん」
教室へと向かう廊下でいきなりその唯一の目撃者から声を掛けられて俺は飛び上がって驚いた。
「お、おはよう。斉藤」
ぎぎぎと錆びたロボットのようなぎこちない動きで振り向き、やっぱりぎこちなく挨拶をする。
「はい。これ」
俺の内心を知らない斉藤はいつも通りの気の抜けるようなふにゃりとした笑顔で俺にあるものを差し出した。
「なんだ、これ」
「昨日兵助くん冷凍した豆腐が好きって言ってたから。よろこんでくれるかなって思って。だから」
「ああ…ありがと」
確かに好きだがわざわざ学校に持ってきてくれるあたり、斉藤もなかなか変わっていると思う。
少し呆れながらもその愛おしささえ感じるひんやりとした冷たさを持つ冷凍豆腐を受け取った瞬間だった。
ぴりりと左肩の産毛が逆立った。
殺気だ。仕事のために鍛えられたものにしか察知できない、針で体を撫でられるようなその気配。
危ない!と声を掛ける間すら惜しく、俺は斉藤を反射的に押し倒した。
ぱすん、という音が俺の耳には確かに聞こえた。そして廊下の壁には穴が。
「え?え?兵助くん?」
斉藤は突然俺に押し倒されたものだから混乱しているようだが
たった今自分の頭があった場所に銃弾が打ち込まれたなんてことは思ってもいないだろう。
斉藤の派手な頭を抱えたまま廊下の窓から見える校舎の向こう側のビルを確認する。きらりと光る何かが屋上に見えた。
誰かが斉藤を狙撃した。
こんな、ちょっと足りないところはあるかも知れないが人から恨まれるなんてこととは無縁そうな男を!いったい誰が!
疑問はあるがそんなことをここでもたもた考えるわけにはいかない。狙撃者の格好の餌食になるだけだ。
俺は貰った冷凍豆腐を掴み斉藤の手を引いた。
「斉藤!来い!」
「え?ええ?」
当然自体を飲み込めていない斉藤だが、有無を言わせず走り出した。
慌てる子どもは廊下で転ぶ。廊下の張り紙が目に入ったが、すみません、今は本当に緊急事態なんですと心のなかで手を合わせた。
狙撃者から逃れる方法が無いわけではない。建造物内ならなおさらだ。とにかく狙撃者の死角に入るのだ。
窓のない場所を選び階段を駆け下りる。これで狙撃の心配は無い。
が、世の中そんなに甘くないのだ。
ウチの学校の制服でない学ランを着た男が階段の下で俺と斉藤を待ち構えていた。ちなみにウチの学校はブレザーだ。
学ランの男。そう鉢屋三郎である。
俺は慌てて足を止める。
「どうしたんだ三郎」
俺の問いには答えず、三郎は幼い頃からしっている俺でもぞっとするような声で言う。
「ふうん。兵助、やっぱりヘマをしたんだな」
ヘマという単語に俺の心臓がドキリと跳ねる。ヘマっていうのは、つまり殺しの現場を斉藤に見られたことを指しているに違いない。
なんで三郎がそれを知っているのか!
「昨日さ、お前の様子がおかしかったから私と雷蔵と八左ヱ門でちょっと兵助の身辺を調べさせてもらった」
「プ、プライバシーの侵害だ!」
「放課後の廊下でお前がこの斉藤ってヤツに頭を下げてるところが目撃されてるんだよ!それも殺された教師がいた体育研究室の前で!」
目の前が真っ白になった。
三郎たちは昨日の俺に不審な点を見つけて、そしていくつかの手がかりから俺が斉藤に殺しの現場を見られたと推測したのだ。大当たりだ。
そうするとさきほどの狙撃者は雷蔵なのだろう。
「秘密を知られた以上そいつを生かしておくわけにはいかないんだ。お前が殺せないっていうなら俺が殺す」
学ランの下から忍者が使うような苦無を取り出した三郎が鋭い目で俺に退けと言ってくる。
今まで何人もの血を吸ってきた苦無が嫌な輝きを放つ。
「斉藤は殺さないし、殺させない」
斉藤の手を強く握ると俺は一気に駆け出した。
三郎が追ってくる気配はない。部外者の三郎とここの生徒の俺では地の利は俺にある。
雷蔵から狙撃されないように窓側を避けて昇降口まで逃げる。
しかし、たどりついた昇降口にはまだ刺客がいたのだった。
まあ考えてみれば雷蔵、三郎ときてもう一人が来ないわけがない。
「待ってたぜ。兵助」
捕虫網をぶんぶんと振り回しまるで中国の棒術の達人のように振舞う八左ヱ門がいた。
しかしどんなに格好をつけても捕虫網は捕虫網だ。後ろの斉藤が不思議そうな目で八左ヱ門を見ている。
だが、俺は知っているのだ。その捕虫網がどのように使われるかを。
「残念だけど、ここまでだな兵助」
いつの間にか追いついて来た三郎が後ろから言った。
「掟は守らないとな」
八左ヱ門が捕虫網を構える。
俺は斉藤を背中に庇うが、正直この二人を相手に斉藤を庇いつつ勝てる方法があるとは思えなかった。
そして遠くにはライフルを構えた雷蔵がいる。嫌な汗がだらだらと流れ背中を湿らせる。
「兵助くんのお友達?紹介してもらっていいかなあ」
斉藤の阿呆は状況をまったく理解しておらずトンチキなことを言っている。
「掟だ!兵助!」
三郎が叫ぶ。
「掟なんだよ!兵助!」
八左ヱ門も叫ぶ。
「掟、掟ってしつこいな。そんなのは俺だってわかってるさ!」
俺は考える。なんとかして斉藤だけでも助けてやることはできないだろうか。
しかし殺しの現場を見られてもいいのは同業者と身内だけだ。
斉藤はどこからどう見ても一般人だし、これから殺し屋さんをやりますなんてことも絶対に無理だ。この冷凍豆腐を賭けてもいい。
そう冷凍豆腐。今俺の手にあるのはコイツだけだ。
ひんやりと冷たさの伝わるそれを握り締め、俺は決心する。
豆腐は柔らかく脆いが、それは常温での場合だ。鼠が時に猫を噛むように豆腐だって場合によっては凶器にだってなり得るのだ。
豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえなんて言葉があるが、誰も自分が豆腐の角に頭をぶつけて死ぬなんて想像もしない。
俺がいままで始末してきた人間たちだってきっとそうだろう。
決心が揺るがぬうちに俺は握った冷たく固いそれを振り上げ、勢いよく振り下ろす。
俺の後ろで頭にクエスチョンマークを浮かべている斉藤の頭に目掛けて。
ではなく。
俺が腕を振り上げた瞬間に一気に間合いを詰め俺の懐へ入ってきた三郎に向けて。
しかし冷凍豆腐は三郎に軽々と避けられてしまう。
それでいいのだ。
俺は地面を蹴り二人から距離を取ると狙撃手雷蔵の死角に入り、背に庇った斉藤に向き直るとその両手をしっかりと握った。
殺しの現場を見られてもいいのは同業と身内だけ。
しかし斉藤に殺し屋は無理。
ならば仕方ない。ここで斉藤を始末されない方法はこれしかない。
展開についていけてない混乱した目を熱く見つめ俺は決心した。
「斉藤!俺と結婚してくれ!」
斉藤のなかで時計が止まったようだ。
しばらく機能停止した後に復活した斉藤は耳まで真っ赤になった。
「そ、そ、そんなこと、いきなり言われても、おれ達まだ高校生だし」
「そんな悠長なこと言ってるバヤイじゃないんだよ!結婚してくれ。今すぐ。頼むから」
そう、手っ取り早く斉藤を身内にしてしまおうというのが俺の最後の手段だった。もう他に打てる手が見つからない。
俺だって命が掛かっているのだ。自然と真剣な瞳になる。
「へ、兵助くんのばか!豆腐小僧!」
顔を真っ赤にして俺の手を振りほどくと斉藤は普段のぼけぼけした様子からは想像できない速さで校舎の中へと逃げていった。
「待て!結婚しろ!」
追いかけようとする俺の肩を強い力で三郎がつかんだ。びくりとして振り向けば三郎は俯いて肩を震わせていた。
笑っていたのだ。
更にその三郎の向こうでは八左ヱ門が腹を抱えて笑っている。
「な、言ったろう。賭けは私の勝ちだ」
「しかたねえな。ほら、千円」
八左ヱ門が涙を拭いながら三郎に千円を渡している。
「あとで雷蔵からも徴収しとかないとな」
「…おい、どういうことだ」
「賭けをしてたんだよ。兵助が掟を思い出して斉藤タカ丸に求婚するか、ってな」
「ほんとにするとは思わなかったぞ。千円損した」
「じゃあ最初から斉藤を殺すつもりなんてなかったんだな」
「そりゃそうだ。別に殺しの現場を見たわけでもないんだからな」
「ああ、そうか。そうだよな。見られてないんなら殺す必要なんか…」
なんだって?
「見てないんだよ。斉藤タカ丸さんは、兵助が殺しをするとこなんて見てない」
口をあけて呆ける俺に二人はまだ笑いながら説明する。
「昨日の兵助の様子がおかしかったから、ちょっと調べたって話はしたよな」
「で、その一環としてあの人にも話を聞いたんだよ」
「まさか斉藤のやつ、昨日のことを話したのか?!」
絶対に喋らないと言ったのに。
「いやいや、ちゃんと兵助との約束を守ったよ。あの人は」
「じゃあなんで」
「電話で探りを入れようとしたらあの人必死でこう言ったんだよ。『おれは兵助くんが体育の先生からお豆腐を盗んだことなんか知りません』って」
「斉藤タカ丸さんってちょっとアホなの?」
三郎がにやにやと性格悪そうに笑う。
膝から力が抜けて、俺はその場に座り込んだ。
殺しの現場を見られてはいなかった。
斉藤は俺が体育教師の研究室から冷凍豆腐を持って出てくるのを見て、俺が豆腐泥棒をしたと勘違いしたのだ。
「あ、は、ははは」
バカみたいに笑う俺を見下ろしながら三郎と八左ヱ門も笑った。
心の底から良かったと思った。
「しっかし、兵助が豆腐持ってたのは焦ったなあ。丸腰だとばかり思ってたから」
「うんうん。そういえば、なんで今日も豆腐持ってたんだ」
不思議そうな二人に向かって俺はにやりと笑って言ってやる。
「それはな、俺が豆腐小僧だからだ」
俺が小さい頃に選んでしまった武器。それこそ今俺の手ので白く輝く豆腐なのだ。


次の日の帰り道。昨日のことなどすっかり忘れて俺は斉藤と帰路についていた。沈む夕日が酷く綺麗だ。
これは俺の心から心配事がなくなったからだろう。
いつも斉藤と別れる場所まで来たところで、斉藤はもじもじと口を開いた。
「兵助くん。おれ、昨日のこと一晩じっくり考えたんだ」
「は?」
「やっぱり高校生だし、結婚っていうのは早いと思うんだ。でも婚約だったらおかしいことないんじゃないかと思うんだよね」
「え、おい、その話は」
「ふつつかものですが、よろしくおねがいします」
斉藤はにっこり笑って俺に頭を下げた。これはとんでもないことになった。
つい先ほどまでの清々しい気持ちが一気に危機感に変わる。ここはしっかりと誤解を解いておかないと大変なことになってしまう。
俺はごくりと唾を飲み斉藤の瞳を覗き込んだ。
「あのな斉藤。昨日の朝の俺はどうかしてたんだ。そう、さながら連日徹夜で意識朦朧とした会計委員のように…」
そこまで言ったところで俺は言葉を止めざるを得なかった。
「どういかしたの?」
「いや、なんでもない。婚約ってことで異存ない。どこの国で式を挙げるかはまた今度考えような。じゃあ、また明日」
「うん。また明日ね!」
頬を染め、こちらを何度か振り向きながら手を振り帰路につく斉藤を見送り俺はちょうど斉藤からは死角だった電柱の陰に声を掛ける。
「その俺に向けた苦無をしまってくれ。三郎」
俺のその言葉で電柱の陰からは三郎が、近くのコンビニからは捕虫網を持った八左ヱ門が。
そしてかすかに感じる肌の粟立ちから考えてどこぞで雷蔵がライフルを構えているに違いない。
「兵助、大川の爺さんの決めた掟を忘れたとは言わせないぞ」
にやにやと心底面白がっていますという笑顔を貼り付けた三郎が言う。
「掟の違反者のは死をもって償わせる」
にっ、と発言の内容に反して爽やかに笑う八左ヱ門が俺の耳に携帯電話を押し付けてくる。
『そういうことだからね。兵助』
電話の向こうの雷蔵の笑顔がありありと想像できる。
そして重なる三人の声。
「男からの婚約破棄は厳禁とする!」
苦無が首筋に押し当てられ、捕虫網の先端が腹に当てられ、肌には狙撃手の殺気がびしびしと伝わってきてしまったからもう何も言えない。
「わかった!わかったよ!」
俺はやけくそのように叫ぶしかできない。
「聞き分けがいいなあ。兵助」
「良かったじゃないか。やっとお前にも春が来たんだぞ」
『本当本当』
三人は俺を肴にして笑いあった。
やっぱり人を殺して金を貰ってる奴らなんてろくなもんじゃない。こいつ等を筆頭に殺し屋なんて性格破綻者の集まりだ。
俺以外は!!






ダブルパロでした。阿智作品好きです。
タカくく?くくタカ?書いてる人間がタカくくという意識を持って書いたわけだからタカくくでいいと思うのですが。
しかし捕虫網の網で引っ掛けて首を捻って人を殺したりできるのかはよくわかりません。だからといって間違っても人で試したりしないように。
2009 1 23