煙草の話


夜中、煙草がきれかけだったため、KKがマンション近くの煙草の自販機へと足を伸ばした時のことである。
小銭を投入し、ボタンを押す。カタンという音をたて機械から吐き出された煙草を手に取った瞬間
何者かによる狙撃を受けた。
咄嗟に自販機脇に身を隠し懐の得物に手をかけるが、相手は2発目を仕掛けては来なかった。
自販機のすぐ横の壁に向かって撃たれた弾丸。KKには相手の目星がついていた。
世界禁煙協会の東京支部。連中がが雇ったヒットマンに違いない。
最近は禁煙・嫌煙活動が活発になっており自己紹介代わりに自分が嫌煙者だと主張する者も少なくない。
どこぞでは名刺にしっかりと自分が煙草を吸わない、喫煙者を撲滅すると書いている会社員などもいるらしい。
風上で煙草を吸っていただけで気の強そうな女に咥えていた煙草を取り上げられ、頬を叩かれた上に喫煙者がどれだけ社会と他人にを迷惑をかけているかを滔々と語られなんて話しまである。
「喫煙者には生き難い世になったもんだ」
狙撃手の気配が完全になくなったことを確認してから、KKは買ったばかりの煙草に火をつけ大きく煙を吐き出した。

それからのKKの生活は見えない敵との戦いだった。
最近は特にどちらの仕事も請けておらず、少々自堕落で引き篭もった生活を送っていたため世間のことに疎くなってしまっていたのかもしれない。
世界禁煙協会という組織はなかなかに過激なものらしい。
最初の狙撃から暫くの間はあったものの、KKの喫煙生活が以前と変わらないと判断したのかまず禁煙を促すチラシや肺がんで亡くなった愛煙者の肺の写真が送りつけられた。
外食をすれば、たとえ喫煙席にいようが禁煙席の者からヒステリックな注意を受ける。喫煙席のある店のほうが少なくなったくらいだ。
別に、KKは煙草を吸わなければ死んでしまうというほどでもない喫煙者だが、禁止されれば止めたくなくなる天邪鬼な性質だったために意地でも禁煙はしないと心に誓った。
しかし、誓った矢先のことだ。
「Mr.KK、煙草の量が増えたんじゃないかしら」
ベルが久しぶりにKKの部屋に入った第一声がそれだった。
「そおかい?自分じゃわかんねぇからな。臭うか?」
「少しだけね。好き好きだからあんまり言えないけれど、吸いすぎは体に毒…あら」
少しだけ不満そうに語るベルが部屋の壁に貼られたポスターを見つけ、嬉しそうに声をあげる。
「なんだ、やっぱり禁煙を考えてたのね!そうよね、健康のことを考えたら煙草なんてよくないもの。
私もMr.KKの禁煙に協力するわ!」
にこにこしながら勢いよく話し出すベルに面食らいつつ、いましがた彼女が見たポスターを確認してみれば
それはKKが自分で貼ったものなどではなく、彼の留守中に世界禁煙協会の連中が勝手にあがりこみ
貼りつけていったらしい、煙草によりボロボロになった肺の写真と煙草がいかに人体に毒かを大きく簡潔
に書いた禁煙促進のポスターだった。
やられた!とKKが思ったときには既にベルが吸殻の溜まった灰皿をキレイに洗い、その横にあった残りの
煙草をためらうことなくゴミ箱へと捨てていた。
ベルはこれからどうしてくれようかと考えていたKKの手を取り、少女特有の輝く瞳で語りかけた。
「Mr.KK、禁煙は大変なことだと思うわ。でも強い意志と周りの協力があればやり遂げられると思うの」
ベルは一呼吸おくとずいっとKKに近づき言う。
「がんばりましょう!」
間近でみる瞳のなかには星が瞬いていて、有無を言わさぬ勢いと力強さがあった。
その日から、ベルは今まで以上にKKの部屋へ頻繁にやって来るようになった。何とか誤解(というか
なんというか)を解こうかと思ったが必要以上に世話を焼き、禁煙にはアレがいいコレがいいと楽しそうに言う
ベルを前にKKは無力だった。
「ね、これ可愛いと思いません?」
「ああ…いいんじゃないか」
トドメはベルの持ってきた透明な猫の入れ物に入ったキャンディだった。色とりどりなキャンディが詰められた猫はKKに向かってニヤニヤと意地悪く笑っているように感じられた。
まあ猫じゃなくとも、可愛らしい少女に「はい、口あけてください」なんて言われ、しぶしぶ口をあけつつまんざら
でもなさそうな顔で飴を食べさせてもらっている男の姿なんて見たらニヤニヤしたくもなるだろう。
「口寂しくなったら、これで我慢してくださいね」
「……あぁ」
こうしてKKの戦いは終わった。



深夜、KKは街の中心部から少し離れた人気のない路地を歩いていた。もう何メートルか歩けば賑やかな通りに出るだろう。
念のため、歩きながらもう一度自分の身なりを確認する。
うん。問題ない。懐に忍ばせた相棒を作業着越しに撫でる。
まったく、今日もいい仕事してくれたもんだ。やっぱお前、俺のこと愛してるだろ。
そう考えながらくっくと声を出さずに笑う。
くたびれた作業着だが、労働者らしい汗と泥の臭いでなく品の良いオーデコロンの匂いがする。その香りの下に隠された硝煙の臭いには誰も気付かないだろう。
通りに出たところで、仕事用の電話で依頼主に報告をする。
「よぉ、俺だ。仕事は完了した」
「あぁ、報酬は口座に入れてくれればいい。わかってると思うが、これで俺とお前たちの繋がりは終わりだ。この事は口外しないこと。俺も、日本愛煙者の会なんて集まりの名前は忘れる」
「これからは好きに吸いな。……ああちょとまて、ただし、マナーは守りな。吸殻はキチンとてめぇで責任持って処分するんだ。ポイ捨てされたのを一体誰が掃除すると思ってんだ。わかったな」

深夜といえど、辺りは明るい。少年たちはコンビニの前に屯し、大声で合言葉のような決まり文句を繰り返している。
季節など関係なく露出した服を着た女が、猫なで声で男と歩く。
目深に被った帽子で顔を隠した作業着の男などに注目するものなどいない。
口寂しくなったKKは胸ポケットに忍ばせていたそれを咥えた。
舌に甘酸っぱい味が広がり、自然と唾液が分泌される。
そういえばベルが置いていった、あの猫の形をしたキャンディボトルはもう空になってしまっていた。今舐めているのが最後の一つだ。
彼女は中でもレモン味のものが好きだと言っていた。あの時は、髪の色と同じだなと言って笑った。
あの舌が、黄色い飴を舐める舌が、酷く魅惑的だと感じたのは、きっとニコチン不足による判断力の低下が引き起こしたのだと自分に言い聞かせていたが、どうも、それだけでは無いような気がする。
明日になったら、買い物に出かけよう。飴を補充しなくては口寂しくてならない。ついでにベルの働いている店にも顔を出そう。
自分が何を買おうとしているのか教えれば、きっと驚くだろう。嬉しそうに笑うかもしれない。もしかしたら一緒に行きたいと言いだすかもしれない。
ニヤつくのを堪えようとしながら、KKはマンションの近くの煙草の自販機に差し掛かったがそのまま素通りし
自宅へと戻っていった。





元ネタ…というほど原型を留めていない気がするけど、筒井康隆の最後の喫煙者の影響を受けてたり。
つか多分ヒットマンはオーデコロンとかタバコとか臭いのつくものはつけないよね。


2007 11 7