金魚



「こら、なんということをする。よくもそんな無作法なことを。この成り上がりの平民め。
 相手は華族のご令嬢だぞ。本当なら同じ水槽に入ることすら許されないのだぞ」
ライドウが鳴海探偵社に戻ってみると鳴海が先日手に入れた金魚の入った水槽に向かってなにやら大声で語りかけている。
窓が開いていないことを確認し、しっかりと扉に鍵を掛けた。
こんなところを人に見られてしまったらおかしな誤解を受けかねない。
「ただいまもどりました。買ってきた品物の確認をお願いします」
「ああ、聞いてくれよライドウ。この前貰ったこの金魚、じつは金魚じゃなかったんだよ」
「そうですか。珈琲豆はこちらでよかったですか」
鳴海の語るところによればこうである。
今まで金魚と思っていたその魚は金魚ではなくフナだったようなのだ。
フナなどを水槽に入れてもなあということで鳴海が金魚を一匹買ってきたのだという。
確かに言われてみれば同じ水槽に入れられたフナの色は赤というよりも橙に近いが
鳴海の買ってきた金魚は鮮やかな赤に花のように華麗な尾ヒレをつけている。
しかしそこで問題が起こった。どうやらちょうどフナ達に盛りがついていたらしく
しかも魚なりに美醜が理解できるようで同じ水槽に入れられた美しい一匹の金魚を
寄ってたかって追い回し、乱暴するのだというのだ。
「まったく信じられないな。たかが泥臭いフナ風情がこんなに美しい金魚に手を出そうなんて。
 身の程を弁えろと言いたくもなるさ。世話してやった恩も忘れやがって」
「世話をした恩と金魚との交尾には何か関係があるのですか」
だいたいその金魚、もといフナの世話をしたのは僕です。とライドウは加える。
「わかってないな。お前はこの連中に餌をやって、水槽の水を取り替えただけだ。
 だが俺はコイツらに愛情を与えていたんだよ。わかるか?愛情だ。
 母親が乳をやっておしめを代えるだけの世話で子どもが育つか?育たないだろう。
 愛情を与えてやらないと子どもは死ぬんだよ」
「はあ。そうですか」
それでは明日から食事の用意も掃除も止めて愛情だけで鳴海さんが生きていけるか検証してもよろしいでしょうか。
という言葉をライドウは飲み込んだ。
それによくよく考えればライドウは家事のやり方はわかるが、愛情の与え方というものがよくわからないので検証のしようがないのだ。
「そんな愛情を傾けていたフナ達も今日やって来たばかりの金魚にお株を取られてしまうんですね」
「だって、見ろよアイツら。来たばかりで右も左もわからないお嬢さんを複数で乱暴するんだぜ。見ちゃいられないさ」
鳴海が指差す先にはたった一日もしないうちに鱗の半分ほどが剥げ落ち、見るも哀れな様子となった金魚のお嬢さんが。
もう息も絶え絶えだ。
水中をひらひらと揺れる金魚の尾ヒレは、言われてみれば多少扇情的に見えないこともなかった。
水槽に近づき、金魚の様子を窺うライドウの形の良い肩をエスコートと言うにはいささか乱暴に鳴海は掴み、ソファーへと放った。
文句を口にするよりも早く上にのしかかって来た鳴海の瞳の奥にゆらゆらと見え隠れする独特の色を見てライドウは心中でのみ溜め息を吐いた。
「魚の交尾で興奮するなんて、たいした変態ですね」
「それはそれ。これはこれ」
口だけで笑いながら言葉と共に吐き出される息が常より熱い。
水槽の中、失神しそうなり水面に浮かび上がるも無神経なフナ達に追い回され花のような尾ヒレを乱され荒らされる金魚に
ライドウは何時間か後の己を見たような気になった。
「この愚鈍な雑種め。品性下劣の輩め。相手をわきまえろ。相手を」
黒猫がライドウを見つめながら言う。
「ゴウト、それは」
「金魚の話だ。金魚の」
そう言う黒猫の視線はしっかりと鳴海とライドウにそそがれていた。








参考 筒井康隆 「狂気の沙汰も金次第」 

どうでもいいけど鳴海はライドウが探偵社に来る前は食事も掃除他も適当だったけど
複数人の女性からの愛情(客と商売女という関係含)というかお節介でちゃんと生きていけてたと思う。
タヱちゃんが文句言いながらいろいろ世話やいてくれてたり。外にいるお婆ちゃんとかも。


2008 12 12